代表講師の村田真理です。

今回は、私がどうしてプロトコールをこんなにもお勧めするか。です。日本の教育では教えてもらえないこのプロトコールが、どれだけ国際人に必要か、述べておきましょう。

ずっと疑問でした。

社交界では、男性から女性に握手を求めることは、失礼に当たりますから、女性から握手を求められることは至って普通のことです。

これを知らないと、変に舞い上がって、「この女性は自分に気がある」と勘違いしてしまえば、笑いの的。

このようにおっしゃっていた方がいました。「自分にパーティで会うといつも握手を求めてくる女性がいてた。なんでいつもあの女性は自分に握手を求めるのだろう。。気持ちが悪い。」

更に、別の方のアドバイスが

「その女性はあなたに気があったのでしょう」

でした。。

こちらは本当に失礼で、余りにも知識不足ですが、これを知った外国人は全員、その方には近づきもしませんでした。握手は挨拶で、挨拶を求めただけで自分に気があるなどと思われては、その方が気持ちが悪いと思われます。

このような感覚であれば、国外に出ることは、まだまだ難しいでしょう。

西洋は日本よりもずっと個人への評価が厳しく、その時点でもう、当然ながら良いお仕事の話は来ません。

そして、その握手のことをお教えすると、ふてくされてしまい、「だって気持ちが悪いし、自分は日本人だから!」と怒られてしまいました。


どうして日本の文化や人の行動や考え方は、こんなに世界と違うのに、殆どの人がそれを知らなくて、「違う」ということに極端に反応して、それを指摘すると責め、生意気という感情を抱くのだろう。

そして違いを指摘された時に、開き直ったり、怒ったり、という極端な反応は、どうして起こるのだろう?

必ず理由がある。

そう思いました。

そして、プロトコール(外交儀礼)に出会い、歴史を学んだ時に、それが明確となりました。

「そういうことか!!」

日本人の大半が感じる、その「独特な感情」は、もはや作られたものであり、西洋文化が一挙に入ってきた明治時代に崩れた、政治体系、文化、習慣、考え方をきっかけに、曖昧にされてきてしまい、それでも、その「感情」だけは残った。

そういうことなのですね。

その頃から、日本では「宗教否定」がありました。

ですので、宗教により人の感覚が異なるこということを、根本から理解していません。けれども、日本や世界の歴史は宗教から成り立っていますから、その威力は偉大です。

私は小さな頃から西洋文化を学んでます。

そういう環境や感覚で育ち、キリスト教の学校でした。その他か、日本の学校に入った時に、感覚が全く異なりました。

ハーフでもない、普通の公立の小学校に通いながら、完全に感覚は西洋感覚でしたため、理解できない、されないことも良くありました。

昔は良く悩んだものです。

大人になって、国際的な活動をしてから、「日本人の感覚は、大変独特」という事を知ったのです。

日本では、聖徳太子の時代から、「人と同じであることが美しい」とされてきたため、「日本人は周りと違う」と言われることも非常に嫌います。

そして、こういった発言を、日本人でありながらする人を、徹底的に責め立てます。

実際は、そこまで固執する必要はなく、その「違う日本」を生かせば国際人なのですが、なかなかそこまでたどり着けない理由は、無意識にも、「一緒でいなくては恥ずかしい」そういう感情が働くようです。

一つ言えることは、「違うことは恥ずかしいことではない」と言うことです。むしろ、知識がないことは恥を招きますが、取り入れて損することはありません。

日本文化や感覚が、何故ここまでユニークか?という事を知るのに、プロトコールの知識が非常に役立ちます。

現実をネガティブに受け止めず、現実を現実として受け止めて、混乱せずに対応できる余裕ができてこそ、国際的にも通用するマインドが持てる、ということでもありますね。

そうすれば、社交界で女性に握手を求められてからと行って、極端に舞い上がらずに、普通の挨拶ができるようになるでしょう。

 

そんな事にならないためにも、プロトコールの知識は必要ですね。

 

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